読書メモ「方丈記」:生き方

鴨長明方丈記

自分主体で責任を持ち誰にも迷惑かけなければ、好きに楽しんで生きて良いんじゃないか、とそう思えた。

「ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」の一文とともに、この世の無常を表しているという程度の認識しかなかった。けれども、改めて読んでみると、それだけでなく、人生経験を通じて導かれた生き方が述べられていた。

次の6つの要点をメモとしておく。

1. 導入:この世は無常である

「ゆく川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」

「あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。」

2. 例えば:災厄はコントロールできない

  • 安元の大火

  • 治承の辻風

  • 福原遷都

  • 養和の飢饉

  • 元暦の大地震

天変地異や事件により人は振り回される。住居も同じである。

しかし、

「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。」

と、月日とともに話題に出さなくなってくる。 人のすることで愚かなことでないものはないが、また同じところに立派な家を建てて生きていくのである。

3. 問題提起:生きにくい世の中

「世にしたがへば、身、くるし。またしたがはねば、狂せるに似たり。」

空気を読んで生きていくのはしんどい。みんなと異なることをしていれば、孤立させられる。この辺りは現代にも通じる。

いづれの所を占めて、いかなる業をしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。」

どうすれば安らかに生きていけるのか。

4. 生涯で導き出した答え:方丈庵

この生きにくい世の中でこれ以上我慢していくのは嫌となる。鴨長明は自分の心に忠実に世から離れ、方丈の住居へ移る。

「もし、心にかなはぬ事あらば、安く他へ移さんがためなり。」

方丈庵であれば、気に食わぬことがあってもお金をかけずに他所へ移ることができる。この住居こそ安らかに生きてい苦ことができると言っている。

身軽に気の赴くまま生きることができるということなのか。

5. 具体的には:方丈の暮らし

「もし念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。」

「独り調べ、ひとり詠じて、みづから情を養ふばかりなり。」

好きに没頭し、さぼってもよし。誰も見てやしないのだから。

「事を知り、世を知れれば、願はず、走らず。ただ、静かなるを望みとし、憂へ無きを楽しみとす。」

「ただ、仮の庵のみのどけくして、おそれなし。」

あくせくしないで、平穏であることが良い。

仮の住居みたいなものだから、すぐ移ればいい。だって大邸宅じゃないし。

「もし、なすべき事あれば、すなはち、おのが身を使ふ。」

やらねばいけないことがあっても、他人を当てにしてはいけない。他人を使えば気苦労もするし、他人の期待に応えねばすぐに見切られもする。

自分の手の届く範囲を超えたことは、心の平穏を保てないということなのか。

「それ、三界は、ただ心一つなり。」

質素な生活と外からは見えるだろうが、すべては心の持ちようで決まる。

逆に心が安らかでなければ、どんな贅沢な暮らしも薄れてしまうだろう。

6. まとめ:生き方にはっきりした正解なんてない

世俗での出世や富といった自分だけではどうしようもないものへの執着から逃れるべく、方丈庵での暮らしに行き着いた鴨長明

しかし、今度は方丈庵に執着している自身に気付く。

「その時、心さらに答ふる事なし。ただ、かたはらにぜっこんをやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ。」

そんなこと言っても答えなんて分からないのだ。どうせ誰にも関わりないことであるのだから、自分の心の赴くままに暮らせばいい。

念仏唱えていれば心平穏に暮らせますというのは、分かりやすい回答かもしれないがそんな一途な生き方なんて実際は難しい。そんな他者からの分かりやすいものにすがるのではなく、自分の中でバランスを保ちながら両立(中途半端でもよし)していくことが良いのではないか。

すべては心の持ちよう一つ。自分の事は自分でしか分からない。数寄を探して生きよう。

鴨長明が言及していない生涯についても含めて解説されていて面白かった。